小さいひとは可能性の巨人です

紳士的なハットを深くかぶったダンディな様子に見える幼児


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まだおっぱいやミルクを飲んでいる赤ちゃん。幼児。小学生。その子どもたちも、たった10年か20年で大人になります。

今この世にないものを考えついているかもしれない。「それは無理」と言われていたことを実現しているかもしれない。

今、親である人はそのスピードについていけている自信あるでしょうか?

子どもだまし、という言葉があります。

子供をだますこと。子供をなだめすかすこと。 子供をだますような見え透いたごまかし

(1)

子どもを『愚かで何もわかっていない』かのような言い草ですね。少なくとも、こんな前提で子育てしたくはありません。

でもありがちなのです。『大人である』というだけで、子どもに失礼なことを言ったりしたりすることが。

相手が子どもだから「何を言っても許される」と思ったら大間違いなのですが、うっかり子どもに甘えてしまっていないか?注意したいのです。

過去の記憶

子どもの頃の記憶って、結構残っているものです。

わたしにもあったよ

わたし(8才)

わたしが幼稚園年中の時のこと。園では、お誕生会が毎月開催されていました。

お誕生会ではプレゼントが渡されます。折り紙のツルとか、数珠玉がチャリチャリ音を立てるお手玉とか。幼児の腕にかけられる、ちょっと長めの取っ手がついている竹のカゴに入った素敵なお楽しみだったのです。そのカゴを渡すのは、先月お誕生だった園児でした。

「はい、おたんじょうのカゴですよ」先生がわたしにカゴを差し出しました。

先月自分がもらったそのカゴを、今度はわたしが他のお友達にあげるのです。もらうのも渡すのもワクワクです。

嬉しくて「ありがとうございます」と言ったわたしを見ながら、先生は大声で笑ったのです。「やあねえ。先月もらったでしょ」と。

(ちがうよ!渡すのが嬉しいからありがとうございますを言ったんだよ!)焦ったわたしは、そううまくは言えず情けないような悲しい気持ちでした。その時抱いた大人への不信感は強烈で、50年経ってもいまだに覚えている出来事なのです。

大人は『子どもは単純で考えが浅い』と思い込んでいるところがないか?時々振り返った方がいいのです。

言葉・行動の奥に、精一杯の気持ちや道理を抱えて生きている。それが子どもです。大人の目線だけで、勝手に判定したり評価したりするのはフェアではありません。

子ども時代「大人って何にもわかってない」と感じたことのある人は多いはず。今、自分がその『わかってない大人』ではない自信はあるでしょうか?

かく言うわたしは、息子が中学生の頃「わかってない大人」だったことが何度もありました。今思い出しても情けない思いです。

そのことに気が付く度に、ちゃんと正座して謝りました。

「◯◯について××だと誤解していました。勝手な言い分を反省しています。大変申し訳ありませんでした」と。息子に「ん、わかった」と受け入れてもらえたことが、ちょっとだけ救いです。

親のプライドは、間違いや思い込みを『子ども騙しの言葉』でごまかすことでは保たれません。親は大人の余裕で、子ども側の気持ちを想像すること・汲み取ることで尊敬されたい。

正座して謝っても、見下されることはありません。家族なんだもの、敬愛の気持ちで繋がっていたいものです。親の知らない世界や発想を生み出すのはいつも次の世代の人たちです。今はまだ年齢的に子どもでも、『可能性の巨人』に対してはいつも尊敬の気持ちを持っていたいと思うのです。

参考文献

(1)goo 辞書, デジタル大辞泉. https://dictionary.goo.ne.jp/jn/80770/meaning/m0u/より閲覧

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