20年以上前のことになりますが、赤ちゃんを産みました。
わたし
切迫早産で、体重800g。
全身に麻痺があります。小学校入学の春もまだ一人で100メートルも歩けない体でした。
今(2019年3月)、息子は家を出てひとり暮らしをしています。
オール自炊留学です。
わたし(8才)
親の手助けは不要(仕送りはするけど)。
子育て終了です(仕送りはするけど!)!
家を出て、ひとりで生活する日が来て。
しみじみ嬉しい。
今は懐かしい日々のことを思い出してみようかなと思います。
大学に不合格続きだった話①
息子の大学受験の思い出(懐かしそうな話題じゃない)。
「いい結果は出なかった。でも息子よ。未来の時間に比べたら、今なんて一瞬だよ。大丈夫だから(真剣)」そう言いながら見守り続けたことを思い出します。
『浪人』という単語は昔から知っていたけれど。
それどころか息子は・・・
わたし
もうね。
「大阪名物くいだ◯れ太郎」って聞いても「ああ、何年も浪人して苦労人なんやね」とか思っちゃうくらいです。
最後の受験の時は「まあ今回落ちることはないでしょ」くらいに思ってたんですけど。
大学に一番近いエリアで『バリアフリー対応の部屋』を探したり。
新生活用品をリストアップしたり。楽しく準備を進めていたにもかかわらず。
わたし(8才)
合格発表は大学のホームページに作られた確認サイトで見てました。公開時間より1時間も前から「待ち遠しいねー」とを何度もチェックしていたわたし。
「いやいや。まだ時間じゃないし」と制しながらも結構『本格的に祝う気分』を整えつつあった息子。
それがですね。
「ウソ?!」・・・息子は自分の受験番号が無いことを何度か確認しながら、どんどん顔面蒼白に。
『頭を抱え込む人』そのもののポーズの人、初めて見ましたよ。
リビングに崩れ落ちて、そのまま横になり動かなくなりました。
「あー?まじかー。え?え?・・・・・・あー!?」って、頭の中の混乱が口からダダ漏れ。
発表のページをチェックして結果を知ったオットからも心配して電話が来ました。
「息子よ、一旦寝て。ゆっくり考えていいのだぞ」とか言った様子。
息子は「ウン。スマセン。なんで落ちたかな。わからんけど。ほんと、スマセン」とかなんとかつぶやいてました。
「ちょっと・・・・引きこもります」
オットからの電話を切った後、ズルズル自室に入ってそのまま出て来ませんでした。
世界で一番幸せになって欲しい人が、今ドン底なんだなと思うと。掛ける言葉もありません。
カーサンは黙って、『お腹に優しく』かつ『栄養があって美味しいご飯』を準備するだけです。
わたし(8才)
半日くらい出てこなかった息子、その間何をしていたかと言いますと。
友人たちに連絡を取りながら、自分を取り戻していたとのこと。
夕飯の時に自室から出て来た息子は、すでに気持ちを切り替えつつあったようでした(早っ)。
「俺、ちょっと違うルートで(学問の道を)行くこと考えていい?」
つまり・・・・大学にかかる費用についての話でした。
過去の想定を一旦ナシにして、一から計算し直しになってしまうがいいか?という相談。
「いえ。それは無理です」なんて言う選択肢はない。
我が家の場合、息子が『自分で食べていける人になれるよう支援すること』が何よりも優先なんです。
老後破産の危険より、息子の生きる道確保が断然優先(大丈夫かなこの思考)。
帰宅して息子の話を聞いたオットも「いくらかかるのか費用を計算して。なんとかする」その一言だけでした。
うん。
ここまで生きてくれたことを、しみじみありがたいと思う。
『やりたいこと』を見つけて、そのために努力できる人になってくれたこともありがたいと思う。
大学落ちたからって、人生が終わるわけじゃない。大事なのはそこから何を考えるか?どこを向くか?ちゃんと踏み出すか?なんですから。
親は「とことん考えなされ」と応援するだけです。
不合格だったことを『なんで?!』とか『これからどうするつもり?!』なんて、言ってもなんの足しにもならない。
このこと、息子が中・高生の時に気が付きました。
わたし
受験に限らず、子どもが『その場足踏み状態』の時に親はどうすればいいのか。
「もう、どうしてそうなの?」という気持ちになった時って、全然建設的な話ができません。
ただ『親の不安を消化するためだけの詰問』になりがち。自分の感情を自分で背負うことができないと、つい誰かに押し付けたくなってしまう。
わたし(8才)
親が弱虫だと子どもが苦労します。
息子の反抗期に、このことを気付けて良かった。
今一番苦しんでいるのは誰か?
考える・気付く。それが親の『たしなみ』ってものかもしれない。
自分で考え自分で対応できる人に育てていれば、時々吹く向かい風くらい気にしなくていいんですしね。